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ブランド紹介Brand introduction
 

バカラについて

バカラは1764年、アルザス・ロレーヌ地方(いわゆるジャンヌ・ダルクゆかりの地ですね)というシュヴァルツヴァルト(黒い森)と北フランスのヴォージュ山脈との間に横たわっている山の多い森林地帯で誕生しました。この地方は、2世紀もの間にバカラとサン・ルイという、フランスの二大ガラス工場を生み出し、50マイルも離れていないところに両工場は隣接しあって、歴史的に深いつながりを持っていたんだそうです。ま、言えばお隣さんというよりも、兄弟みたいなもんでしょうかね。土地柄、さまざまな悲惨な戦いがあって、共に苦労した戦友同志だったとも言えます。
『フランスは、全くガラス工芸品を製作していません。この為にわが王国は、あの陰惨な7年戦争の後に復興に努めたとき、必要なガラス製品を、ボヘミアから大量に輸入してまかなわざるをえず、莫大な資金を流出させました。』メスの司教モンセランシー=ラヴァル卿が、サンタンヌ・ガラス工場(のちのバカラ・クリスタル社)という名で創立する際に、国王ルイ15世に言い放った言葉です。その司教は雄大な森林を所有していたのですが、これを多くの”きこり”の失業者の救済に役立てれないものかと思いました。木材を燃料にするにはガラスの製造所を建てるしかないと考え付き、その信念をルイ15世に嘆願しに行きました。そして1764年の10月16日晴れて、彼の言い分を受け入れました。ガラス工場は、ムルト川の右岸の、バカラの小さな村の向かい側に建てられ、その工場に関係するさまざまな職人の住居がその工場の周囲にも同じように建てられていきました。その地に”小さな社会”が誕生したのです。

溶解ガラスの用意ができ次第すぐに職人を召集できるようにと、彼らを工場の近くに住まわせることは当然、不可欠でもありました。当初の工場ではおもに、窓ガラスや鏡、瓶類やガラスの実用器の生産が主流でした。一説によると1789年のフランス革命の直前までは、工場で働く従業員は400人以上いたとされ、70世帯以上の家族がその工場の敷地内で生活されていたとされます。
しかし、それまで順調に経営してきたが、1790年から1815年までの25年間はナポレオンの没落にともなって、他の18世紀頃の工場の例にもれず、サンタンヌ・ガラス工場の景気は急遽、悪化していきました。これは戦争、対英封鎖、材料費などの物価高騰、そして労働力の低下などの影響で会社が財政難となっていったからです。
1811年にはこういこともあり、会社は2台の炉を閉鎖し、400人もいた従業員を5分の1以下の70人を残し、リストラしました。しかしその後も会社は経営を立て直すことはできず1816年、工場は純金2,845オンスで、M・エメ=ガブリエル・ダルティーグに売却されました。ダルティーグはサン・ルイ工場の重役を務めたこともある実力者で、それ以前は、リェ‐ジェ近郊のヴォネシュにあるガラス製造所を、その地方自体が突然ドイツに(のちにベルギー)に占領されるまでの1815年まで経営をしていた人物だったのです。
その後、ダルティーグ指揮下の元、バカラの製造所は急速に伸びていき、売却後1年で工場で働く従業員は300人を越すまでに成長し復活しました。そして更に5年後の1822年までには、バカラ工場はフランスを代表とするガラス製造所までに上り詰めました。これもガラスの特性や品質にこだわった研究の結果の賜物で、世界でもっとも美しく、重く(鉛の含有量が32%も含まれておりました)、比重、屈折率、光度の高いクリスタルが生産開発されたからなのです。
1823年になり、ダルティーグはそれまでバカラ工場全ての実権を握っておりましたが、突如同僚のM・ピエール=アントワーヌ・ゴダール・デマレと、M・レキュイエ、そしてM・マロの3人に売却しました。そして今のバカラ・クリスタル社が誕生したのですね。また1881年の現在の社名になるまでにバカラ・ガラス・クリスタル社など社名変更などつけられていたこともあるそうです。
会社の大株主でしたゴダールはこう言いました。”バカラ社の将来は、ガラス製品の品質改善とバカラで働く職人の腕次第である”といい、それを現実にするためには、上質な材料の使用を重視し、生産の改善と拡大を図るようにすることでした。当時のバカラは、香水瓶やシャンデリア、キャンデラブラ、そしてグラス類などを製作したり、またパリでの展示会にも積極的に出展したりと、芸術色にも力を入れ始めたそうです。
1846年、ゴダールの息子だったエミール・ゴダール(ござーる?)に実権が移り、エミール管理下の元で、ミルフィオリのペーパーウェイトが完成され、バカラ社の生産拠点がさらに拡大することになりました。この後1848年までには、バーナーワークでの花やブーケのモチーフも登場し、バカラ社のペーパーウェイト製作は、わずかであったとされてますが、1860年から後半から第2次世界大戦直前までの間、少し生産したのみとされ、また1931年〜1934年にかけて製造されたウェイトは特別に『デュポン』と呼ばれていたこともあります。以後このペーパーウェイト事業は、バカラにとって後に重要な役割を20年近くも果たすことになったのです。

バカラジュエリー

240年間にわたり「最良の素材、最高の技術、そしてそれを継承すること」という理念を受け継ぎ、「王者たちのクリスタル」と呼ばれ世界中で愛されてきました。
バカラのビジュゥは、クリスタル職人の技術と最高のジュエラーのノウハウとの融合によって生まれました。クリスタルの純粋さと、18金やスターリングシルバーなどを組み合わせ、クリスタルの輝きや鮮やかな色をいかしたジュエリーコレクションです。お土産や出産祝いの贈り物としても使われる事があるため場から世界中に存在するのです。

手の中で輝くクリスタル - バカラ

世界中に有名な、フランスのクリスタルメーカー「バカラ」。そのバカラが生み出した数多くのグラスのなかでも、バカラの代名詞的な存在と言えるのが、この「アルクール」でうす。アルクールは、1824年にアルクール公爵のために生み出され、時代を超えた今なお世界中で愛されるグラスです。不快フラットカットが特徴え、グラスに飲み物を注いだときの美しい輝き、手に取った時の重量感、そして口をつけた時のなめらかさ、そんな全ての瞬間に「バカラグラスを使うこと」の喜びが溢れる逸品です。

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ロベクチン

2019/1/25 更新

 

 
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